二宮和也は多分サイコパスであり、ゆえに紅白は平和だったし彼は魅力的なのだ

2017年の紅白歌合戦は終始平和だった。
 
平和なオープニング映像に始まり、平和にクソすべっているコントを繰り広げ(宇宙人総理が出てきてYoshikiに「本当の総理が来ると思った」とか言われたらリアルな勘違い過ぎて皆閉口するしかないが、それもそれでしょうがないね〜みたいな空気に終わり)、高橋一生吉岡里帆が平和に壇上からステージを眺め、日本全国が平和にひふみんを心配し、安室奈美恵が平和に涙を流し、桑田佳祐が平和に歌唱力を披露し、白組が久々に勝利して平和に幕を閉じた。
 
2016年も同様に、平和なオープニング、平和なクソすべりゴジラコント、マツコとタモリの平和にまあまあ面白いミニコント、新垣結衣の平和な不貞腐れ恋ダンス(クソかわいい)など様々な平和要素があったが、2016年と2017年とでは、決定的に違う何かがあった。
16年も17年も、同じように平和であったにも関わらず、17年の方が圧倒的に安心して観ていることができたのだ。
 
その違いは、相葉雅紀二宮和也にある。
 
5分に一回噛み30分に一回段取りを間違え隣の有村架純は若干不機嫌になり、挙句の果てに大トリで、公共放送に映っている35歳の大の男が司会の不安から解放されたことでメンバーに微笑まれながら泣き散らかす(まるで学校からお母さんのもとに帰ってきた少年のようだった)というエンディングを迎えた16年。
(誤解のないよう言い添えておくが私は中高生のころ嵐のコンサートに通っていたライトな嵐ファンであり16年紅白も激しくニコニコしながら観ていた)
 
まったく対照的な17年は、終始一貫したテンションで淡々と進行する二宮が常に番組の手綱を握りしめていた。
NHKから指示されたからであろう、「総合司会って何なんだろうね?」と困惑しながら仕方なくクソすべりコントを披露する内村光良に代わり、二宮はほぼ総合司会のような形でひふみんのまとまりのないコメントをぶった切り、いつも通りに嵐としてのパフォーマンスも淡々とこなし終えていた。
(ひふみんにコメントを振っておいて途中で切るなんて大変失礼だ、という批判もあるし、私も失礼だと思ったが、番組の進行上あれはもっとも仕方のないことだったし、あそこまでのぶった切りを嫌味なくネタであるかのように実践できるのは嵐二宮しかいない)
彼の横で有村架純も、さぞ安心して進行に打ち込むことができたであろう。微笑みの強度に16年との有意な差を観測できた。
 
そんな安定感の猛攻の中で、二宮和也を最も象徴していたのが、開始後まもなくの「三津谷寛治」コントのワイプである。「忖度」「暴力」「差別」などの文字を掲げた全身タイツマンを「あ!NHKの敵だ!」と言いウッチャン扮する三津谷寛治が次々倒していくコント。全国の視聴者の方がどう感じたかは知らないが、すべてのクソすべりコントの中で個人的にはこのパフォーマンスが一番すべっていたと自信を持って言える。
そのコントのワイプで表情を抜かれた二宮和也は、あからさまな「冷笑」を浮かべていた。「あーあーなんだよこれすべっちゃってるよーNHKどうすんのこれクソつまらないよー大丈夫かー」とでも言いたげな冷笑を浮かべていた。
そして彼は、2秒ほどで自分がワイプに抜かれていることに気づき、残り3秒を最高のアイドルスマイルに戻ってやり過ごした。この5秒間が、嵐二宮を、紅白歌合戦5時間を終始平常心でこなし切った二宮を、象徴していると思っている。
 
つまるところ、二宮和也サイコパスなのだ、多分。
彼は相葉雅紀のような人間の心を持たない。
彼にとってアイドルは職業であり、司会はその延長で受けた「業務」であるので、思い入れを持つ必要がない。だから紅白の司会も緊張なしに終えられるし、彼の魅力はそこにあるし、私個人の話をすれば二宮和也に魅力を感じ始めて十数年になるが、彼を愛する理由はここに凝縮されている。


二宮は自身がコンテンツだという自覚を持っている。持った上で、アイドル=コンテンツとしての「二宮和也」以外の彼を表出することはない。業務としてのアイドルを全力で全うすることにつけては他のジャニーズタレントも同じだが、彼ほど器用に自分をアイドルで覆い隠す人はいない(ような気がしている)。
そしてファンは、彼の中身に惹かれていく。二宮和也とはどんな人間なのか?彼の弱みはどこにあるのか?だが、彼の中身にたどり着くことは永遠にない。私たちは彼によって、二宮和也から提供される「ニノ」を楽しむことしか許されていないから。とはいえバラエティでの彼はあくまで”自然体”なので、二宮くんの人間としての本質が、見えそうで見えない、ぎりぎりのところでひた隠しにされる。そのもどかしさや歯痒さや焦らされ感、だが「ニノ」に没頭してしまう悔しさ、そして絶対に二宮和也を見せてくれない彼へのもはや畏怖にも近い尊敬。私たちと対等な近い存在と見せかけて、絶対的上位にある彼の存在。
二宮和也は、絶対に彼のもとにたどり着けない私たちを常に上から見下ろしているのだ。きっと、NHKのクソすべりコントを見ていたような冷笑で。
 
だが彼は私たちに会う時、ワイプにおいては2秒で作れたスーパーアイドルスマイルを浮かべている。そこに、楽しいとか嬉しいとかいった義務感以外の感情は一切含まれていない。けれども、そのスーパーアイドルスマイルと、「ニノ」のパフォーマンスはあまりに優れていて、私たちは抗いながらもそれに魅了されてしまうのだ。(まあとにかくね、器用な人なんだよ。だから、"自然体"と見せかけて、えっそれ作ってるよね?えっ自然体じゃないよね?えっどっち?みたいなのが無感情にできるんだよ。)
 
二宮のそんなサイコ的な一面のお陰で、17年の紅白は平和だったし、彼は魅力的で、きっと今年も業務としてのアイドルスマイルを顔に貼り付けて、数々の大役をこなしていくのだろう。
 
まあなんだ。そんなようなことを考えられるくらい、平和に18年を迎えました。
今年もなにとぞよろしくお願いします。