渡辺直美が称賛されるのは「女の子を楽しんでいるから」ではない

渡辺直美の魅力について、一度真剣に考えなければならない。

彼女が、米英VOGUEとその読者からあまりに賞賛されまくっている件である。

インスタアカウントのフォロワー数は日本一の763万人、ニューヨーク公演のチケット300枚は即完売、昨年米VOGUEのYoutubeチャンネルで公開されたメイク動画は全世界で270万回再生。

2日前には英VOGUEで「日本女性の既成概念を破壊する存在」と特集された(グラミー賞歌手と共演した、Gap公式のLogo remixというキャンぺーン動画の宣伝。)

 

往々にして日本のメディアは、日本のものが世界で受け入れられると、とりあえず狂喜する。おかげで、「渡辺直美は魅力的だ」という固定概念が日本中に蔓延し、独自の世界観を創出しグローバルに活躍する世界的なアイドルと大絶賛されている。

で、だいたい彼女は、「渡辺直美は容姿のコンプレックスから自らを解放し、女の子を楽しんでいる」みたいな感じに表現される。容姿が美しくないとか太っているとか、表面的にはアレだけど、自分らしい美しさを求めているのは、「女性として」魅力的。みたいな。

(彼女がプロデュースしたブランドPUNYUSも、「女の子の持つ感情を表現する」とか言ってるから、まあしょうがないんだけど)

 

渡辺直美は、「自らの女性らしさを楽しもうとしている」姿勢をVOGUEから評価されているのかどうかについては、明確に、否、といいたい。

 

英VOGUE公式アカウントで上記コメントが扱われていることからも、彼女は、女ではなく、「『渡辺直美』を楽しもうとしている」という点において評価され、取り上げられているんだと思う。

 

この記事を思い出した。(以下引用)

 

ポリティカル・コレクトネスの問題って、別に政治的、社会的な問題だけじゃなくて、逆らうことのできない商業的な要請でもあるんですよ。

好成績を続けている『スター・ウォーズ』の主要キャラクターが女性や黒人の若者なのもそうだし、去年世界で最もヒットしたアメコミ映画が『スパイダーマン』でもヒーローが総結集した『ジャスティス・リーグ』でもなく、単独女性ヒーローの『ワンダーウーマン』だったのもそう。

ポリティカル・コレクトネスに配慮しない作品が、だんだんお客さんから見向きされなくなってきてる。

 

現代ビジネスの威を借りて、あえて誤解を恐れずに言えば、ポリコレそれ自体ではなく、社会的に絶対善と判断されているポリコレ的価値観に「賛同すること」が、善、もしくはスマートな態度だという風潮がある。特に米英では。

同じ女性を肯定する文句でも、「見た目が美人じゃなくても、スレンダーでなくても、男の子っぽくても、女性らしさは楽しめる」みたいな日本の女性誌的な価値観は、世界基準から言えばもう古い。
要するに商業誌VOGUE UKからすると、そもそも「男か女か」という判断基準が古いという姿勢を取らなければ現代的かつスマートではなく、評価されない中で、「『女』を楽しんでいるかどうか」という尺度はもはや博物館レベル、というわけだ。

渡辺直美Twitterで引用されているコメントでもあるように、「日本人でもなく、女でもなく、渡辺直美である」という一貫した姿勢を取っている。「性別:クソ、美醜:クソ、その判断基準から外れて自分を生きよう」というザ・先進国、ザ・欧米な価値観を全活動を通して明快に肯定しているからこそ、彼女を扱うことはVOGUEにとってステータスになるのだ。

 

日本の女性芸人たちは、どちらかというと「男女」「美醜」「女らしさ」という日本の古き良き価値観を利用して笑いを取りに行く傾向が強い。("ブス"女芸人の美醜に対するさまざまなアプローチについても考えたのだけど、それはまた別のお話なので次に書く)

渡辺直美は、面白いとか、歌やダンスやファッションのセンスがあるとか、そういうのを抜きにして(そういうのはもちろん加点要素としてあるけど)、
「美しさ」の評価基準、あるいは、「人間」に対するアプローチの仕方が、他の女芸人と一線を画している理由に繋がってくるんだと思う。

 

美しさは個性であって、私はこの世で一番美しい人は自分を愛している人が美しいと思っているので、見た目だけの美しさじゃなくって、自分を愛して、自分に自信がある人が美しいという風にremixしてます。だから私は、美しい。

(Gap キャンペーン動画"Logo remix"のメイキングインタビューでの、渡辺直美の発言)

 

とのこと。欧米的だね。