今日、成人式を迎えるブスたちへ

今日成人式を迎える、弱冠20歳の、残念ながら容姿に恵まれなかった女性たち、あるいは自分の容姿に自信が持てない女性たちに伝えたい。コミュニティが被っていないので多分伝わらないけど。

 

美人の隣で写真を撮れ。インスタで公開処刑されることを恐れるな。皆もうお前のことはブスだとわかっているし、美人かブスかという尺度では見ない、めでたいという感想しか抱かない。
あえてブスの隣で撮った振袖写真をアップしている美人は、ちゃんと「公開処刑する性格ブス」という認識になる、ちゃんとなる。皆わかってる。大丈夫。

自信を持って派手な振袖を着ろ。本当はキラキラしたのを着たいなら、自分に自信がないからといって、無地とか暗い色とかなんかそういう、違う土俵で闘おうとするな。「みんな明るい色のキラキラした振袖を着ている中、ちょっと他とは違う感性の持ち主」みたいな立ち位置に自分を置こうとするな。なかなか着られない振袖を着る機会なんだから、ちゃんと好きなのを着ろ。同じ土俵に立て。今日はみんな主役だ。
ほんとにキラキラしたのが着たくなくて無地とか、暗い色とか、ドレスとかを着たいんだったら、別に全然いいけど。それは、ね、ホントいいことだと思う。

久しぶりに会う地元の男友達に狼狽するな。ヤツらが「あいつ可愛くなってね?」みたいな会話をこそこそしているのを見て、「絶対私じゃなくて○○ちゃんのことだ…」と思い込み勝手に落ち込むのはやめろ。成長してちゃんと化粧して髪セットしておめかししているんだから、お前も含めて全員幼子のときより間違いなく可愛くなっている。

 

相変わらずブスだなみたいなこと言ってくるヤツがいたら、10年も経ってもう成人するのにお前は人を容姿でしか判断できないその浅薄な性格が成熟しなくてかわいそうだなと言ってやれ。ちなみにお前の持つ容姿の判断軸で評価するならお前は自分が思っているほどイケメンじゃねえし○○くんの方がモテてるぞと言ってやれ。

 

20歳になっても、30歳になっても、40歳になっても、人を容姿でしか判断できない浅はかな人は存在する。

 

この先、お前のことをブスだと言う人はごまんといる。
それを気にしてしまっている時点で、自分も、自分を容姿でしか判断できない浅はかな判断基準に縛られた人間になっている。
美人不美人の枠から抜け出せ。全力ではじけ飛べ。

人間、人から見て不快ではない清潔感さえ持っていれば、どんな見た目だって、何を考えていたって、何をしたっていい。

 

でもね、こんなキレイごと言ったって、無理なんだよね。私だって無理だし。一度誰かに言われて、一度自分のことをブスだと認識してしまったら、それ以後、容姿を気にしない世界にはもう戻れない。どこにいても、何をしてても、「自分はブスだ」という前提のもとに行動する生き物になってしまう。

 

美人かブスかという尺度で世界を見ない人に戻りたいよね。いいよね、どこからどう見てもブスなのに自分をブスだと認識してない人って。幸せそうだよね。ムカつくよね、結構美人なのに「私ブスだから~」とか言ってるやつ。ブスに謝れって感じだよね。(関係なくなってきた)

 

この先の人生、ブスだと言われたら、(お前に言われなくてもわかってるわ)と思いながら、ちゃんと無視しろ。場の空気が冷めると思って、ツッコんだり、ニコニコしなくていい。そして、粛々と仕事しろ。自分の役割をこなせ。粛々とやることをやり続けて、そして、お前が学生や社会人として属しているコミュニティで、自分の立ち位置が明確になったら、ちゃんと言ってやれ。お前より頑張っている。お前がそうやって人を浅はかに判断している傍で、自分は自分の役割をしっかりこなした。そこに、ブスなことは関係あるかと。

 

そう言ってやれるときがくること、そして、ブスだと茶化してくるそいつが、死ぬ時がくることを全力で待て。よくわかんないけど社会の動き的に、どうせ、もうすぐ死ぬから。死んでいくのを爆笑してやれ。

 

その時を待ちながら、ちゃんと頑張っていれば、ちゃんと幸せになれる。
美人に甘えている美人よりも、イケメンに甘えているイケメンよりも、確実に幸せになれる。
人を美人かブスかでしか判断できないバカよりも、ブスでふて腐れているブスよりも、確実に幸せになれる。
幸せになったもん勝ちだ。
まだまだ人生は長いし、いろいろあるんだけど。がんばろう。