西武そごうの広告が炎上したので今一度、ちょうどいいブスについて考える

年が明けた。

さっそく、西武そごうの「私の時代」広告が、もはや茶番かというくらいキレイに炎上している。

pokonan.hatenablog.com

わたし自身は渡辺直美という明確なアイコンを支持していることもあって「私の時代」というキーワードには肯定的だし、言いたいことはわかる、という感じなんだけど、なんだけど。いかんせん上記記事で書かれているように文章構成がちぐはぐすぎてかわいそうなことになっている。センセーショナルなのはいいけど、そこらへんはデリケートだからもうちょっと校正しようよ~といち消費者目線で勝手に評価していた1月2日。

 

#MeTooの波が来て、伊藤詩織さんやはあちゅうが話題になって、ポリコレのポの字くらいは日本国民の100分の1くらいは理解し始めたのかなあという2018年。WEBメディアもテレビも新聞も、ハリウッドに続いてようやく「あ、なんかいまポリコレっぽく振る舞ってないと叩かれるんだな!?」と認識し始めたっぽい(未だに理解してないメディアも企業もある)。その表れが件の広告文なんだろうな。

 

目指すべき場所は完全に「わたしはわたし」だし、個の時代だし、渡辺直美なんだけど(要はリベラル)、そこに行く前に日本社会は、多分もう一回だけフェミ方向にハンドル切らないといけないんだよね。女の時代だぁ~とか言って。多分、偉い人たちとか声の大きい人たちは、もうそのハンドルは切りきったと思ってるんだけど、いや全然そんなことない。まだ切りきれてない(偉い人たちは切ってるけど、年齢層やエリアやその他もろもろの違いによってついてこれてない後方車両の人達がいる。私はそういう現場に3年生きたからわかる)。


で、実際はついてこれてない人たちがいる現状だから、西武そごうの広告はあんなことになる。書かれている文章をとんでもなくざっくり要約すると下記の通り。

 

①女って差別されてるよね最悪。

 ⇒本当の現状


②女って女だからって活躍しろってもてはやされてるよね最悪。

 ⇒本来、2018年の日本が到達しているべき地点


③私はわたしだよね。男とか女とかじゃなくて個の時代にしようぜ。

 ⇒目指すべき未来

 

つまり、目指すべき場所(リベラル=性別なんて関係ない、男だから女だからじゃなくて、個の美しさと魅力の時代だぞ)と、本来今到達しているべき地点(女の人を輝かせようぜ)と、本当の現在地(女が女と言うだけで差別されている)のギャップがすごいのに、その全部をひっくるめてなんかうまいこと人間を救う感じにしようとしているので、一貫性のない不可解な表現になってしまったという印象。

 

リベラルを目指す人は最初からリベリベ言うんだけれども、多分それって「女性活躍推進!」みたいな風潮がもっと当たり前になってからじゃないとまったく通用しない。男女関係ないよね!みたいな主張は、女差別だめだよね!を全員が理解している状況からでないと広がっていかない。

だからリベラルを目指す日本の一部の人が、本当の意味で理解しなければならないのは「今、日本、全然フェミに振れてないよ(振れてるの偉い人とか声のでかい人だけだよ)」っていう現状だと思う。

 

ただ、そうしたきれいごとがある一方で、「ちょうどいいブス」が支持される世の中も当たり前にある。

 

1月11日から日本テレビ系列で放送される『人生が楽しくなる幸せの法則』。

www.ytv.co.jp

相席スタートの山崎ケイの持ちネタ「ちょうどいいブス」としての生き方が『ちょうどいいブスのススメ』として書籍化され、さらにドラマ化されたものである。
ポリコレのこの時代に何、容姿による女性差別を助長するようなこといっちゃってんの!?とこれも茶番を疑うレベルでキレイに炎上して(いや炎上するだろ普通に)、上記のクソつまんなそうなタイトルに変更して放送されることになった。

 

ただ上に書いたように、「ちょうどいいブス」はまだ一部で支持される、というか支持しないとやっていけない人がたくさんいる世の中なのである。「ちょうどいいブス」は、2018年の本当の意味での現時点(女が差別されている状況)を、まっすぐ素直に受け止めたうえで、じゃあどうやってその中で女性は傷つかずに生きて行こう?と具体的現実的に考えた結果のスタンスだからだ。

 

こうした具体的現実的な、「差別されている女」の生存戦略がないと、生きていけない人が世の中にはまだたくさんいる。それが、2018年日本の現状だ。
だから、山崎ケイは人気になるし、書籍化だってするし、読売テレビはこれをドラマ化したら支持される=視聴率が取れると勘違いしてしまう。
私も然りだけれども、リベリベ言う人たちはまず、この状況をしかと受け止めなければならない。

 

その上で、どう主張するか。何を、どう変えていくべきなのか。
ハンドルをもっと切りきるのが正解なのか、被差別者という自覚を持ったうえでカスタマイズされた生存戦略を編み出すべきなのか、リベリベ言い続けるべきなのか。
2019年は、それを考えるべき年だと思う。

 

(私はサラリーマンなので、現実世界ではなんとかうまいことちょうどいいブスとフェミを行き来しながら、ネットの世界でぎゃあぎゃあリベリベ言おうかな…?と考え中です。がんばるぞぉ。)