「リーダーになっちゃう人」と会社の飲み会の話

大学時代、時流に乗ってとりあえずインターン行かなきゃ、という感じで某有名企業のインターンに参加した。グループを組んで新規事業開発についてプレゼンし全員で投票してランク付けする、という、特段変わった点もないよくあるインターンの形式だったのだが、私はそのインターンとその企業のことを、5年たった今でも鮮明に覚えている。

「きみ、なんかいつもリーダーとかなっちゃうタイプの人でしょ」

インターン最終日の、人事担当者との面接の際、かけられた言葉が想像とあまりにも違っていたので、耳を疑った。

こういうグループワーク的ななにかのときは大体、グループを引っ張ってくれてありがとうだとか、主体性があっていいねだとか、資料作りやプレゼンがうまいねとか、今後もリーダーシップを発揮していってねだとか、なんかそんな感じのふわっとした褒め言葉をいただき、おいそれと承認欲求を満たして終わっていた。

で、今回もそうだと思っていた。

なぜって、「私は学生にしては驚異的な能力を発揮していた」(少なくともその時はそう思っていた)から。5日間のインターンで私のグループは3日目までなかなか進まず、ピンチに陥っていたが、3日目にテーマを私が発案し、資料の骨子を高速で作り、情報収集や詳細な資料の作成はページごとにメンバーに割振りし、発表はグループ内のほかのメンバーの「きみが一人でやったほうがいい」という意見により私が一人でやることになったため一人で全部プレゼンし、ほとんど満場一致で優勝した。スタッフの方たちにも、「あんなピンチに陥っていたグループが優勝するなんて、でも内容は神がかっていた」と言われた。

いや驚異的だろ。優秀だろ。最優秀主演女優賞だろもうこれ。

 

でも主演女優賞はもらえなかった。むしろボロクソだった。

そのとき私のグループの担当として面倒を見てくれていた人事のKさんは、主体性とかプレゼンうまいとかどうとかこうとか聞きなれた、ぬるっとした褒め言葉を待っていた私の耳に先程の言葉を放り込んだ。

「きみ、なんかいつもリーダーとかなっちゃうタイプの人でしょ」

…はい、としか答えられない。これはむしろ褒められているのか?と疑心暗鬼になる。でもKさんの目は全然笑っていなかった。

「リーダーとかなっちゃうタイプの人って、だいたい決まってんだよね。なんかいつも何だかんだでリーダーになっちゃう。それ、自分でもわかってるでしょ?」

そうですね、なんかいつもなっちゃいますね。ふわっと答える私に、Kさんは続けた。

「自分でわかってんだから、最初からそのつもりでやらなきゃ。リーダーになるんだったら、メンバーのことをよくわかって、どう活かすか考えて、取り込んでいかなきゃ。遅いよ。全然遅い。○○とか△△とか、最後の方キャラ出てたじゃん。それ1日目で掴んできみが引き出してたら、出来上がり全然違ったと思うよ。後半一人でがんばって、最後の最後でメンバーの良さが向こうから出てきてなんとかなっただけじゃん」

 

3日目までうまいこと進んでいなかったのは、メンバーが今ひとつ打ち解けられていなかったことと、あるメンバーと私で意見の対立が起こっていたからだった。

結局私が論理で強引にねじ伏せ、最終的にそれが優勝したわけなんだけれども、(まあ今考えると至極当たり前なんだけど)そんな私は全然優秀ではない。

「なんだかんだで最後は自分がリーダーになっちゃう」

わかってるんだから、最初からそのつもりで。全員が気持ちよく納得できる解を探しに行かなければならないのである。

こうやって文章にしていると、社会人になったら本当に至極当たり前のことなんだけれど。「リーダーになっちゃわない人」からのぬるっとした褒め言葉しかもらってこなかった若干21歳くらいの私にとっては「リーダーになっちゃう人」側からの意見はあまりに新しく、衝撃的だった。

(もしかすると、「リーダーになっちゃう人」と認めることはその時期恥ずかしいことだと思っていたのかもしれない。自意識が肥大化している。)

リーダーたることはもはや前提である。さすればどのようにして理想的なリーダーたるべきか、あるいは理想的なチームを作るか。自覚を持って、どんなチームに所属してもそれを熟考することが義務であるわけだ。何回も言うけど、当たり前なんだけど。初めてそれを教えてくれたKさんのことは、多分文字通り死ぬまで忘れない。

 

 

で。忘年会シーズンである。

 

もうね、私は本当にやりたくない。会社の飲み会の幹事とか、本当にやりたくない。

でもやっちゃうのである。

「当日のタイムスケジュールは?」「お店に連絡した?」「宴会芸のオファーは済んだの?」「会議開いて?」とか。やっちゃうのである。本当にやりたくない。

でも、多分、最終的に幹事団のリーダーになっちゃうのである。何がどう転んだって、なっちゃうのである。

だから、今のうちから幹事メンバーのキャラと得意技を把握して、上手いこと取り込んでいかなきゃならないのである。

 

幹事団のリーダーになることは前提。もはや前提。

さすればどのようにして理想的な忘年会を作るか。それを、諦念とともに最初から自分事として、熟考せねばならないのである。

がんばる。