ブス女芸人から、「ブス」という概念へのアプローチを考える

 男が女について「あの子面白いよ」と言うときって、だいたい「自分の『面白さ』を理解し肯定してくれる女だよ」の意訳に過ぎないと思っている。クソつまんないね。


「あの子面白い」と言われる女の子は、大体、男のギャグにちゃんと笑ってあげてるとか、男による容姿とか頭脳とか"女らしさ"に対するいじりに「ちょっとぉ~!」とか言ってあげてるとか、その辺が面白いと評価されている。

 
基本的には、「ブスも女としてそこに在れ」という社会的要請があって、ブスな女も男のクソつまらんギャグにちゃんと笑ってあげなければならないし、「ブスだなぁお前」というクソつまらんイジりに「ちょっとぉ~!」と言ってあげなければならないのである。
(まあ大体の場合、「ブスだな」って言う前に、お前の頭やたるんだお腹や脂ぎった顔や白髪を何とかしてから言えって感じだけど。)

 

そういう観点で女芸人さんを見た時に、「ブス」という概念そのものや、「ブスも女としてそこに在れ」という、単純明快な社会的要請に対してそれぞれまったく異なるアプローチがあるなあと感じている。

 

①「ブスな女」として生きることにより会得した男女観をアピールする性の体現者

大久保佳代子や、相席スタート・山崎ケイがそう。ブスから見た社会はこうだ、ブスはこうして生きていくべきだ、という持論を展開することによって、「ブスが何言ってんだ」という男からの嘲笑、あるいは、「めっちゃわかる!」「参考にしよう」という女からの共感を得ている。社会的にブスだからこそ、感じてきた苦悩や男女関係についての諦観を逆手にとって武器にしている。芸人だけではなく、女としても使える技なのかもしれない。

 

②ブスであることそれ自体を使って笑わせている、メンタルが破壊的に強靭な猛者
近藤春菜森三中・大島、いとうあさこはすごい。自分が社会的にブスだということを理解したうえで、それを積極的に、真正面から利用している。笑いの沸点が低い大体の人はこれで満足させることができるので労力という意味でのコスパは良い。一方で自分を積極的に貶めることによる精神的ダメージが破壊的に大きいので、余程腹を括ってないとできない。ブス的に全力リスペクト。


③ブス(デブ)という自認にはあまり言及せず、周囲からの評価を獲得するブス界の勝者
これに至ってはもはや芸風には関係ないが、ブス(あるいはデブ)へのアプローチでいうと柳原可奈子森三中村上・イモトアヤコは適切な距離感を保っていると感じる。自分からブスやデブであることにあまり触れないことにより、「痩せたらかわいい」「よく見るとかわいい」など、男女問わず「自分は人を表面的にはなく本質的に見ることができる」とアピールしたい人から評価されている(彼女たち自身がそう評価されたいかどうかは別として)。

 

私は①と③の雑種ブスだけど、私の話はどうでもいいので置いておくとして、いずれにせよ、①~③すべてが冒頭に書いた「ブスも”面白い””女”たれ」(社会的に醜いお前も、俺たち私たちの要望や価値観に従順に応えるジェンダー的メスであれ)という二重に自分勝手な要請にキレイに応えている。

 

別に私は、日本ではそうした社会的要請がなくなるとも思っていないし、無くしたいという意欲もない。こうした枠からはみ出て独自の世界観を創出するのが一番正解なんだけど、そうすることができずに自分の立ち位置を見極めかねているブスは、①~③の態度をむしろ参考にしてもいいんじゃないの、とすら思う。

 

ただね、①~③のような女芸人さんの態度はあくまでテレビの中の話であり、それによってさっきから何度も言っている「社会的要請」が形づくられていることは誰もが認識しなければならないとも思う。テレビの中の話だから、これが現実にそのまま再現されるかといったらそうではないし、彼女たちは「お金になる」とか「それで皆が笑ってくれる」という生きがいによって積極的にやっているけど、世界の誰しもがそうだというわけではない。


それは、男も女も問わず、日本社会に生きる人みんなが、「わかった上でやる」ことが必要だよね。とは考えてますね。以上。