私は、サラリーマンになった。

卒業する高校の制服や、リクルートスーツに身を包んだたくさんの学生たちが、夢や希望を持って桜満開の季節を行きかう。

かつて私もそのひとりだった。

 

幼いとき、たまに赤い車でやって来るアウトローな感じのカッコいい親戚のおじちゃんは、フリーの放送作家だった。
小学生時代スポーツもとくにやってなかった私は、毎日テレビのバラエティ番組を見て育った。
中高の文化祭でオープニングの映像を一生懸命作って、1,000人の生徒の前で流したら講堂が震えるくらい熱狂して、近くにいた先生に失笑されながら泣いた。
大学でイベントづくりに関わって、自分が作った企画で笑顔になっている人たちをみて、「やっぱり私は、ものを作って人を喜ばせたい」と思った。
ずっと、私はいつか、映画かテレビ番組を作る人になるんだと思っていた。
そしていつかアカデミー賞だとかエミー賞だとか取っちゃったりして、世界的に有名になって……
私は何者かになった私を、夢の中に見ていた。

 

そんな夢あふれる小娘は、この3年間、広島で、メーカーの営業をやっていた。

 

百戦錬磨のおじ様方を相手に、「たいぎいのう」なんて言われながら、やれ契約金がどうの、やれ新商品がどうの、と、23歳の女が慣れない口調で商談した。
失礼なことを言って、得意先でたくさん叱られた。どうせ今まで叱られてこなかったんだろう。人の感情を考えながら発言しろ。
言うことを聞いて帰ってきて、事務所でたくさん叱られた。お前がやっているのは慈善事業だ。商売やれ。
頭の中が14歳の私は、このまま自分はどこにもいなくなってしまうのではないかと、怖くなって、黙った。反発した。
ありがとうと思わないとありがとうと言えなくて、ごめんなさいと思わないとごめんなさいと言えなくて、たくさん怒られた。

 

3年経って、気が付いたら、私は、たくさん頭を下げるようになっていた。

特に面白くないことで、おなかを抱えて笑うようになった。
特に感謝もしていないことに、ありがとうと言うこともあった。
特に悪いことをしていないけど、すみません、申し訳ないです、と言うこともあった。
毎日同じ時間に起きて、毎日同じ時間に同じ場所に、ちょっと堅めの服装で赴くことに、
組織から与えられたノルマを、歯を食いしばって追いかけることに、
自分の頭の中の世界と、実在する世界の違いに、
涙を流さなくなった。
たくさんの人に助けてもらって、組織から形のある評価を得て、海外に連れて行ってもらったりした。
私はちゃんと、目をそむけていた現実世界の一要素になった。

 

そして私はどこにもいなくなった、

…かと言うとそうでもなくて、今もちゃんとここにいる。
今もちゃんとここで、「いつか私が作ったもので、誰かを喜ばせたい」と思っている。

感謝してないことにありがとうと言ったって、
本当に助けてくれた人に、ありがとうと思う気持ちはなくならなかった。
悪いことしていないのにごめんなさいと言ったって、
本当に迷惑をかけた相手への、ごめんなさいの気持ちはなくならなかった。
私はどこにも行かなくて、私の気持ちも無くならなくて、
一方で、わたしを何者かにしてくれる、たくさんの人の気持ちと出会った。

 

ミスチルの櫻井さんが『擬態』で言ってる、
アスファルトを飛び跳ねるトビウオに擬態」したけど、擬態元の私はなくならなくて、
私と、擬態したトビウオとが、くっついて、大きくなった。
たぶん、「出鱈目を誠実をすべて自分のものに」できてきた。

バンプの藤くんが『ray』で
「大丈夫だ この痛みは 忘れたって消えやしない」って言ってた通りで、
一度自分とさよならする辛さは、何かに擬態したときも、別になくなるわけじゃなかった。
後で自分は戻ってきたし、ちゃんとまだ、自分とさよならしない人の気持ちだってわかる。

 

私は、私を失うかもしれない、若い痛みを忘れるかもしれない、サラリーマンになりたくなかった。

でも私は、サラリーマンになった。私も痛みも失わなかった。


私は、サラリーマンの私になった。
サラリーマンの私は、何者かを夢見た私だったときより、もっと強い。