#平成最後の夏 が終わるなら、僕たちは人生を始めよう
“平成最後の夏”が終わる。
平成最後の夏って言われすぎて、最近「平成最後最後ってうるせえんだよ今年の夏だっていつもと変わらない夏の一つだよふざけんな死ね」っていう批判すら出てくるくらい言われすぎている。
あんまり騒ぎ立てたくないほうだけど、「#平成最後の夏」って言いたい気持ちはわからないでもない。
たぶんだけど、なんとなくだけど、
「僕たちの好きだった夏」が、どこかに消えていってしまうような気がするから、最後の夏を惜しみたい、という気持ちが生まれるんだと思う。
セミうっせーな!って思いながら、自転車のカゴにゲームボーイと通信ケーブルだけ入れて友達の家にペダルをぎこぎこ漕いだ午前中とか(限定ポケモンとか、ほかの色のソフト持ってる子と交換しなきゃだったし)。
もう昼間いると邪魔だからどっか遊びに行ってよ~ってお母さんに小言言われながら、お昼ご飯のあとに麦茶のみながら見た『大好き!五つ子』とか(ミホ腹立つけどかわいかったよね、のんちゃんいい子だったよね)。
近所の公園までお父さんについてきてもらってみんなで花火やった夜とか(小さいころは線香花火なんてつまんなくて全然好きじゃなかった)。
高校生のとき、明石家さんまが「もう最後!」って言って司会した27時間テレビを27時間みたくて白目むきながらテレビにへばりついてた土日とか(あの回はさんま&中居の今夜も眠れないに大竹しのぶが出てきたり、クライマックス手前で吉本のオールスターがペンキかけあったり車で轢きあったりやりたい放題で超面白かったんだよ)。
脱水症状レベルに汗かきながら冒険王に遊びに行った帰り、お台場の海でデジカメで写真撮ったりとか(運動会も音楽祭も文化祭も全部デジカメで写真とって焼き増したよね、動画も撮ったよね)。
そういう「僕たちの好きだった夏」の思い出たちが、過去のものとして消えていくような気がして。
もう、昭和みたいにさ、「ALWAYS」とか「オトナ帝国」とか、相対化された世界としてしか触れられなくなってしまう気がして。
次からあたらしい時代の若い夏に、がらりとアップデートされてしまうような気がして。
だからみんな、#平成最後の夏 って言いたくなってしまうんだと思う。
けどね、きっと大丈夫。
思い出は上書き保存じゃない。
ちゃんと名前をつけて保存すればいい。
あのポケモン交換も、五つ子の後のキッズウォーも、ペンキまみれのナイナイも充電すぐ切れるデジカメも、
全部全部ひっくるめて、「平成」っていうフォルダに保存しておこう 。
新しい時代の思い出を、上書き保存するんじゃない。全部思い出を突っ込んだ「平成」フォルダを作ってそっと閉じてさ、脳内デスクトップの隅っこに置いとこう。で、朝なんか起きられないときとか、体がなんか重だるいときとか、にっちもさっちも行かなくなったときとかに引っ張り出してこそこそ見つめてまた閉じればいいじゃない。
ナイトプールとか、おしゃれなカキ氷とか、スマホで撮った思い出は、また別の脳内新規フォルダを作ってそっちに保存していけばいい。
「平成」フォルダをデスクトップの端っこに眠らせておけば、それだけで、きっと一歩踏み出せると思う。
平成最後の夏が終わる。終わることがわかっているなら、「僕たちの平成」が終わることも、なんならもう終わっていることも、もうわかっているはずだ。
僕たちの夏が「ALWAYS」みたいになっちゃうのかな、っていう少し寂しい気持ちは置いておいて、僕たちは人生を始めよう。
昭和とか平成とかあたらしい時代とか、そんなのとは別のところで、ちゃんと時間は過ぎていく。
けれど、どうせひとつの区切りを感じているなら、それをスタートのきっかけにすればいいんじゃない?と思う。
新しいことに挑戦しよう。
ずっとやりたかったことをやろう。
あーだこーだ言わずに、まずは行動してみよう。
誰も笑わないから。
新しい時代はこれから生まれてくる「○○生まれ」の人たちだけのものじゃない。新しい時代を「平成生まれ」で作ろうよ。そのためには、ここからわたしたちが、わたしたちの人生をスタートしなければならない。初代ポケモンも五つ子も、平成が終わる前からもうずっと昔の話。振り返って、踏ん切りをつけて、一歩踏み出して。
たまに思い出しながら、恥ずかしがらずにあたらしい夏を作りに行こう。
だってさ、平成を作ったのは、昭和生まれの大人たちでしょ?
平成が終わるなら、次の時代を創るのは、平成に生まれた「僕たち」だ。