土曜23時半、蔵前のさびれたバッセンとか、そういう風景

蔵前を出たときには真っ暗だった空も、浅草橋に差し掛かると白んできて、神田に着くころにはもはや青みがかる。


浅草橋のシモジマの前とかを、人っ子一人いないのをいいことに、つい先日観た映画のせいで再度ハマった神聖かまってちゃんのフロントメモリー(最新バージョンは亀田誠治によって大衆適応度MAXにデフォルメされていてそれも結構好き)を熱唱したりしながらふらふら歩いて帰った。がんばーろっかなきょうは、それはきのーおーのつづーきー、とか呟きながら。で、あーきっとこういう時の風景って、あんまり忘れないんだよな、とかぽろぽろ考えた。

 

忘れがちだけど会社の同期って、実は大学生のときからの付き合いだから、彼らに会うときは若干みんな22歳に戻っている。蔵前で遊んでいる酔っぱらい同期の誘いを少し渋ると「は?だってお前住んでんの神田やろ?浅草なんてもう神田みたいなもんやん」とかキレてくる感じ。そういうの、会社ってコミュニティではこのご時世、「同期」の肩書きを持つ人以外はなかなかできない。だから口ではキレ返したりしながら、なんだかんだ嬉しかったりするもんである。

 

5年後にも10年後にもきっと鮮明によみがえる記憶って、きっとこの日のきたねえバッセンとか(急に動体視力ゲームやらされて負けて1,000円カード買わされたの意味わからん)、ゲーセンで4,000円使った結果ハリボー3個しか取れなかったとか、誰も得しないのにカラオケに深夜フリータイムで入って得点争い始めて、得点争いだっつってんのにモー娘。のシャボン玉を踊りながら熱唱する同期とか、音程が微妙に外れ続けるレミオロメンとか、星野源ドラえもんを歌おうとしてたのに人にとられたからって「あんなこといいな」のドラえもんを突如歌いだす人とか、そういう記憶なんだと思う。

 

たとえば、文化祭が終わった20時、中2の後輩に「わっ、わたしい、あだ名とかつけてもらったのとか初めてでえ、ほんとうれしくてえ、」と嗚咽とともに感謝された涙の都営新宿線とか(私は真面目な高校生だったので文化祭実行委員をやっていた)。

 

たとえば、大学生らしくとりとめのないことを話しつづけてなんとなく眠くなってきたので解散して、午前3時くらいに根津の友達の家から自転車をギコギコこいで帰るときの閉まってる赤札堂とか。

 

たとえば、同期とご飯は食べ終わって店も出たのになんでか話が止まらなくなっちゃって、とりあえず座った広島のフジっていうスーパーのベンチでなんかめっちゃ蚊にさされた社会人2年目の深夜12時とか。

 

たとえば、猫の目線の映像を撮りたくて、突然谷中銀座に16時くらいに行って、茂みの中に腕を突っ込んでカメラを回した19歳の日曜日の眩しい夕焼けとか。

 

なんでかわからない時間の、なんでかわからない風景が、なんでかわからないけどいつまでも残っていたりする。同じ23時半でも、六本木のおしゃれなバーでイケメンな男性と飲んでいる風景よりも。

で、そうしてなんとなく脳裏にこびりついている映像は、若さの象徴なのかもしれない。そこから先の記憶は、きっと文章になっていく。言葉で考えてしまう自分なので、映像で残せる記憶をたくさんとっておきたい。意味のないことだってたくさんしたい。
「楽しいことしよう」という誘いは、海とか山とか、リムジンとか、フェスとか、必ずしもそういうのじゃなくても。下町のきたねえバッセンでもいいのかもしれない。

 

ちなみに、六本木のおしゃれなバーで女友達と泥酔しながら悪口いっていたことはあるけど、六本木のオシャレなバーでイケメンな男性と飲んだことはない。

誰か!!!!オシャレなバーで私と飲むイケメンを連れて来い!!!!!風景とかどうでもいいから!!!!!!!