カラオケでオレンジレンジを歌う2000年代生まれに出会いたくない

オレンジレンジはもはやTUBE」

 

大学の後輩が、音楽フェスで偶然会ったときにそんなことを言っていた。ここ2~3年で聞いた言葉の中で、5本の指のうちの小指くらいには当てはまる名言だと思った。

 

「まあそんな感じでね、お分かりの通り、僕ら一年中夏やってるわけですけどもね」その音楽フェスで、ORANGE RANGEのボーカルHIROKIは自虐ネタとしてそんなことを言っていた。バカ受けしていた。

 

――エレファントカシマシのステージが終わったあと、私はUNISON SQUARE GARDEN、後輩はRIP SLIMEのステージを観たいと思っていた。お互いデートで来ていた私たちが偶然出くわした。両方、観たいライブが始まるまで2時間近く空いていた。そんな折、タイムテーブルに光ったのは「ORANGE RANGE」の文字だった。

 

いや、いやいやいやいや。別に、好きとかじゃなくて。いやまあ別に、オレンジレンジを見に茨城まで来たわけでは、まあないんだけど。まあ、ねえ。時間空いてるし、ねえ。

いそいそと会場に入り、後ろの方で澄ました顔をして始まるのを待った。そして、時は来た。

 

いいね快晴じゃん、雲一つないよ、真っ赤な太陽、君を知りたいよゥ、後はオレ等次第、今日は抱きしめたい、波打ち際の、

 

まで聞いたところで、体は勝手に飛び跳ね、握りしめた拳は言うことを聞かず天を突き上げ、唇は自然と動き、「アツイ!!!!!!ケツイ!!!!!!!!」と大声を放っていた。

爆音で突如始まった『上海ハニー』に、92年生まれの私の体は血流と筋肉と声帯を乗っ取られ、もう表現が面倒なので色々と割愛してパリピ風に表現するならとにかくブチ上がってしまったのである。サビが始まった瞬間、「しゃーんはいはーにーとぉ、はーまーでしゃーこーだぁんす」とか満面の笑みで歌いながら手をぶんぶんと振り回しており、つまりブチ上がってしまったのである。

 

『上海ハニー』の歌詞通り雲一つない青空。照りつける日差し。30℃を超え、体には少々堪える気候。爆音。何千人もの叫び声と汗と熱気。ORANGE RANGEは間違いなく、2016年の夏を彩っていた。

オレンジレンジが好き」と言うのは、なんか恥ずかしい。いや、まあ好きだし、みんな好きなんだけど、特別に好きとか、一番好きという感じではない。寿司で言うマグロとかサーモンとかじゃなくて、玉子とか、納豆巻きとか、そのあたりがこう、5皿くらい食べてちょっと満足感を抱いた時間帯に回ってきたら手に取ってしまう感覚に近い。まあただ、そこそこ満腹感がある6皿目でも取ってしまうくらいなので、HIROKIがちょっとMCを挟んだ後、「刺激がほしけりゃバカになんないといけないっすよね~~!!」とか大声で煽ろうもんなら、また血流レベルで彼らに身体を侵略され、『ロコローション』のズンチャチャ、ズチャッ×2に合わせてぐねぐねと上半身を動かし、挙句の果てには曲の中で歌われるホンモノの「刺激がほしけりゃバカニナレ Oh Oh Oh」にギエエエエェェェェェとバカになってしまうのである。

 

私たち(厚かましくも、90年~95年くらい生まれを総称して私たちと表現している)が、普段はあえて明確に「好き」と公言しないオレンジレンジが爆音で流れ出した瞬間、身体を乗っ取られブチ上がってしまうのには理由がある。しごく当然だが、彼らは私たちと青春を共にした。小学校低学年の、兄や姉を持つ子たちを筆頭にJpopを聴き始める時期に、彼らは『上海ハニー』を歌い、『以心電信』を歌っていた。小学校高学年から中学生くらいの、部活以外ではエンタメを楽しみ友人と語ることだけが人生の目的みたいな時期に、彼らは『ロコローション』を歌い、『お願い!セニョリータ』を歌っていた。高校に通い悩みを持ち始める多感な時期にも、彼らは『イケナイ太陽』で私たちを支えてくれた。

私自身、小学3年生だか4年生だかの頃学校から家に帰ったら、母が何も言わず買ってきてくれていた彼らのセカンドアルバム『musiQ』が机に置いてあるのを発見し、発狂したことは約15年を経ても鮮明に覚えている。あれが人生で初めて、私物となった「アーティストのアルバム」だったのである。

 

ORANGE RANGEの皆さんは、きっとそんな自分たちの立ち位置をよく理解されているのだと思う。彼らのことを夏以外見ることがあまりない。いやもしかしたら冬も見ているのかもしれないが、彼らの周りだけ夏と化しているので記憶にないだけかもしれない。そして、2002年~2008年位の間に彼らが歌っていた音楽以外を耳にする機会は殆どない。(いや多分新曲はあるんだと思うんだけど、そんなに聴く機会がない。申し訳ないんだけど一般消費者なので許してもらえると思っている。)

そう、もはや彼らは、「ヒットした懐メロを永遠に歌い続ける人たち」と化したのである。彼らが現れればそこは2005年(プラマイ3年)、彼らが現れればそこは真夏。それでいいのだ。それでいいし、それが最高なのだ。私たちはそれで毎夏ブチ上がることができるし、彼らはそれで食っていける。というか、多分もはや歌わなくても食っていけるんだろうけど、それで楽しく生きていくことができる。

 

で、冒頭の「オレンジレンジはもはやTUBE」である。永遠に『あー夏休み』を歌い続け、その場を一瞬にして90年の夏に変えつづけている方たち。TUBEは2020年の夏も『あー夏休み』を歌うし、ORANGE RANGEは2030年の夏も『ロコローション』を歌うのだ。

 

私たちはカラオケでTUBEを歌う。歌わないとしても、楽しそうに「あ~んなーつぅやすみぃ~」と叫ぶ人生の先輩を前に、一緒に体を動かす(血流レベルで乗っ取られてもいないのに)。そして、先輩方が謳歌したであろう90年の夏をともに楽しむ(生まれてないけど)。

カラオケでオレンジレンジを歌う2000年代生まれに出会ったとき、私はきっとどんなに抗えど、LIVE DAMから流れてくる音源に血流レベルで身体を乗っ取られ、浜で社交ダンスし、刺激がほしけりゃバカニナッてしまうのである。2000年代生まれの身体は乗っ取られてもいないし、彼らは上海ハニーの年に生まれていないかもしれないのに。

 

私たちがTUBEを歌い、合わせて踊る人生の先輩を見る目と同じ目で、私たちは彼らに見つめられるのである。私たちはもう、そういうところまで来ている。彼らが出現した途端、私たちは、自分らがそういうところまで来ていることを知る。

 

カラオケでオレンジレンジを歌う優秀な2000年代生まれには、だから出会いたくない。